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断薬 ⑧ 、レキソタン再服用、漢方、回復期(2017年10月上旬~)

【急断薬をしたお話:最終話⑧】

レキソタンを再服用してからも、身体の状態は完全に元には戻らず、
たくさん出た離脱症状のツラさが少し減っただけだった。


それでも、つきっきりでいてくれた旦那さんのお陰もあり「気が狂った不安感」(こうとしか表現出来ない)はだいぶ落ち着き始めた。


たまたま連絡をくれた友人も私の状況を心配をしてくれ、ご飯を持って様子を見に来てくれ本当に感謝だった。



それでも、
ひとりになる事は不安で仕方なく、怖くて、
何をしてしまうか分からない自分の存在も大きく、
高速で1時間半ほどの実家にお世話になることに。
もうそれ以外、考えられないほど身体も心も弱りきっていた。
そして、旦那さんがいないと不安が強くなってしまうので、
職場↔実家の行き来までしてもらった。


最初は何も考えられない状態だったれど、
だんだん落ち着いてくると、この状態に自分で自分が心底嫌になった。



2017年10月上旬
病院の診察の前夜。
仕事帰りの旦那さんに迎えに来てもらい、自宅へ帰宅。


翌日、診察へ。


レキソタン1日1mgで処方されていたものを勝手に割って、
1日3回服用・0.75mgに減らしていたので、
怒られるかと思ったが、大丈夫だった。
『きちんと他の薬も飲んで欲しいけど』とまた言われたが、
飲みたくない旨を伝え、漢方で代用することに。
この辺は柔軟な対応の医師で良かった。



レキソタン 0.75mg(0.25mg×1日3回)
・抑肝散  3包(1包×1日3回)


診察の後、旦那さんは仕事へ行くことになっていたが、
ひとりになることを考えただけで気が狂ったような不安感が押し寄せてきて、
急遽母親に電車で来てもらう。


もう、本当に馬鹿みたいな状態だった。


杖をついた母が電車を乗り継いで来て、旦那さんとバトンタッチで仕事へ行って。


私はひとりにしておけない、赤ん坊のよう。


その日の夜に車で実家へ再び来て以来、今日まで実家で過ごしている。


始めの2ヶ月程は、
激しい動悸や身体が勝手に動いてしまったり、
ムズムズするような感じ、ジッとしていられない感じ、
めまい等々の身体的症状と不安感、恐怖感等の精神的はかなりあったが、
実家に来てからご飯を食べられるようになり、
母に付き添ってもらって、散歩にも出られるようになった。


音が大きく聞こえて、光が眩しくて仕方なかったのも少しずつ良くなり、
DVDも観られるようになり、読めなかった本も、前と変わらず読めるようになった。
(追記:前と変わらず読めていないことが後に発覚。それでも少し読めるようにはなってました。)


少しずつ少しずつ薄皮を剥がすように、回復。




【断薬後追記、2022年】
ひとりになることが、とにかく怖くて怖くて仕方なかったですね。あの感覚はどう説明したら伝わるのか…怖くて気が狂いそう、不安で気が狂いそう。というか、狂ってましたね。
後に両親からこの頃の私のことを「全く笑わないから、やっぱりいつもと違う状態なんだと思った」というようなことを言われました。
恐怖と不安以外の感情は消えていたような記憶です。
夫も忙しすぎて、この頃はどうやって暮らしていたのか思い出せないと言います。
みんなに助けをもらって、何とか命を繋いだような日々でした。


薬をやめて、離脱症状という状態になっていると両親には伝えましたが、70代という世代もあると思いますが、お医者さんが言うことは絶対、薬を飲めば病気は治るという考えが根底にあり、理解を得ることは難しかったです。
「近所の町医者だからそんな事になったんだ。大学病院へ行った方がいい。専門医に診てもらった方がいい。」と何度も言われました。


この頃は、ひとりで外へ出ることが全くできなかったので、かかりつけのメンタルクリニックへ行くのも夫の手を借り、診察も一緒に受けてもらった記憶です。
担当医は離脱症状であると言う私の言葉を完全に否定していたので、離脱症状以前の通院と同じく、ただ薬をもらうだけの通院が始まりました。


たった一ヶ月で、今までと様変わりした患者が目の前にいるというのに、なぜ医師はそれをきちんと見ようとしなかったのか?声に耳を傾けてくれなかったのか?不思議でした。
自分の診察や判断に狂いはないという自信があるのは、その話しぶりから分かっていましたが、今まで薬を処方するだけの1分診療で診ていた患者の事など、正直覚えていなかったのだと思います。
1分診療では、それまでの見た目、話し方、怯え方などがどんなに様変わりしようと、分からないですよね。



実家にいて夫が側にいない時間に錯乱状態になったら、両親は必ず救急車を呼んでしまう、そうすれば色々な薬を投与されてしまうと思い『長年飲んでいたベンゾジアゼピンを断薬して離脱症状を起こしています。急を要する場合以外は、ベンゾジアゼピンを投与するのはやめてください。お願いします。』そんな事を書いた付箋を、お財布の中の保険証に貼っていました。


本を読み始めたり、映画を見始めたりしましたが、最初は文字が読めない、映画を見ても何も感じない理解が出来ないなどでしたが、毎日リハビリのようにそれらに接することで、感情が動き始め、文字も少しずつ読めるようになっていった記憶です。
良いリハビリになりました。
ただ、笑うということは、いちばん最後だったかな。
映画を観ても悲しみや不安には心が動くのに、楽しさが分からなかったり、基本的に心が凄く平坦な状態だったのを覚えています。  


そしてある日、実家で日テレ系の「イッテQ」をボーッと眺めていた時に、森三中さんといとうあさこさんを見ていて突然笑いが止まらなくなり、涙を流しながら笑いました。この時から感情が戻り始めたのか?は覚えていないのですが、今もイッテQを見ると笑えて、元気をもらえます。
笑うって、当たり前のようで、当たり前じゃなくなる時があるんです。でも、また笑えるようになる日が来ると思います。